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コミュニティーの発達


 1860年代、中国人のコミュニティーは結束が固く、互いに店の2階、裏など店を中心に寄り集まって暮らしていました。 そうしてダウンタウンの商店街はチャイナタウンとなったのです。 20年後の1880年代、今度は中国から直接680人の移民がジャマイカに到着し、農業労働者として働き始めます。 その内訳は男性501人、女性105人、男の子54人、女の子が17人。 彼らは1884年、台風に遭いながらも67日の航海を乗り越えてキングストン港に辿り着いた人たちです。 港に着くと契約を結んでいる農園主に名前を呼ばれ、そのままジャマイカ各地に散らばっていきました。 この時中国からの一団にいたのがチン・トゥン・カオ。 1891年ダウンタウン・キングストンのバリー・ストリート131番地に人道主義や社会援助を提供し、中国の風習や中国人としてのアイデンティティーを 守るための中国慈善団体(Chinese Benevilent Society)を立ち上げた、その人でした。
 翌1885年にはアフリカ系ジャマイカ人、インド人労働者らがプランテーションを離れたことから労働力を補うため、再び大量の中国系移民が到着しました。 この第4期にやってきた中国人の数は約700人。 この時の移民は労働契約を結ばずジャマイカにやってきたので、農作業と小売商の二手に分かれます。 しかしこれまでの中国系移民同様、彼らはジャマイカ人に温かく迎え入れられたわけではなかったので、自ずと中国人間の結束を固めました。 相変らず中国人に対する人種的中傷も多く、スパニッシュ・タウンに到着後武器を持った人に囲まれ、プランテーションに向かう らばの荷車が出るまで嫌がらせを受けるということもありました。



困難

 1888年、さらに800人の中国系移民が到着し、ジャマイカ経済界は緊張を高めます。 既存の小売業界が中国人にのっとられることを懸念し、ジャマイカ政府にかけあって中国人がこれ以上入ってくるのを制限するために 最初の移民規制を求めたのです。 結局その規正法は1905年に施行されました。 移民はもはや当局に登録をせねばならず、保証人まで必要になりました。 そして1910年にはさらに厳しい状態に追い込まれます。 1910年以後ジャマイカにやって来る中国人は、入国に際し30ポンドの保証金を支払い、健康診断、3ヶ国語で50語を喋り、書けるかどうかのテストを 受けなければならなくなったのです。 この法律は中国人の移住を困難にしましたが、既に定住している中国系ジャマイカ人が親類を呼ぶのに全く道が途絶えた、ということではありませんでした。   1920年代半ばまでにはさらに4,000人、1930年までには2,000人の中国人がジャマイカに到着します。 しかしジャマイカ政府は1931年、修学許可の下りている14歳以下の子供以外で、ジャマイカ渡航を目指す中国人にパスポートの発給禁止命令を出したのです。 これは一重に、食品小売だけでなく洗濯、外食、パン製造業などでどんどん経済進出する中国人に対するやっかみ。 中国人起業家の活躍はすさまじく、自分達の生活だけでなく国に対する貢献も大きかったのです。 1930年代の労働争議では多くの中国系食料品店が襲われ、時に店主が殺害されることもありました。 中国系移民に対する規制は1947年、キングストンにある中国領事館がジャマイカ政府と対談し、移民規制の緩和を取り決めるまで続きました。 (中国領事館は1920年に設立され、中国系ジャマイカ人に厚く支持されてきた。それまで施行されていた移民規制の中には、中国人の家族でジャマイカに呼べるのは何人まで、という人数制限も含まれていた)



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