長年のパトロンを失い、弟までチンピラに脅されて正気を失ってしまった。
一家の 「 男性 」 を喪失したマーシャは、賞金獲得のためダンスホール・クイーンになることを決意する。
夜はセクシーな衣装に包んだダンスホールクイーンも、普段はTシャツとGパンというごく普通の女性。
「彼女たちにできるなら、わたしにだって!」
マーシャは賞金目当てでダンスホールに通い始めるが、非日常/妖艶なダンスホール・クローズ(衣装)に身を包むことで男たちの目をあざむき、女たちから尊敬や嫉妬の眼差しを受けて自分の女性性と自尊心を満たしていく。
それはダンスで男性と出会うということではなく、“ 男(社会)をコントロールする力を持つ ” ということを意味していた。
普段ボロをまとった自分とは別の自分になり、マーシャは解放される。
そして徐々に、人間としての尊厳を獲得していくのだ。
マーシャはダンスホール/ダンスホール・クローズという非日常を利用し、これまでのしかかっていたパトロン、イントルーダー、女性性、自尊心、子供からの信頼/尊敬、経済力の問題を巧みに、精一杯コントロールして勝者となる。
日本は世界の中でも文明国のひとつだが、女性の選択肢は 「 結婚 」(男性に服従・もしくは依存)、「 仕事 」 の二つしかないという概念が根強く残っている。
しかし女性の一生は、本当にそのニつしか選択肢がないのだろうか。
自尊心を保ち、かつ母になり、女性であり、経済力を持つということは容易でない。
だが自分の持てるものを最大限に生かしてサバイブするという賢さ(ずる賢さ?)が、まだ日本の女性社会には欠けているのかもしれない。もしかしたら、そこまであるものを全て使う必要がないのかもしれない。
しかしそんなエネルギーの欠如が、たくましく見えるジャマイカ人女性に対する憧憬にかわっているのかもしれない。
映画 「 ダンスホール・クイーン 」 には、同じ女性でもマーシャとターニャという2世代の価値観が強く反映されている。
そして二人の姿を、いつも脇で見ている次女は言うのだ。
「母さん、誰に怒ってるの?」
自分の人生や生活に対して怒りを抱えた女性たちは、時代と共に新たな生き方を模索している。
次女が成長する頃は、また新たな戦いとサバイバルが待っているのだと思う。
イマドキのシンデレラに王子様はいらない。
参考文献: 「 Erotic Disguise : (Un)dressing the Body in Jamaican Dancehall Culture 」 Carolyn Cooper
協力: 鈴木慎一郎さま
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2004年9月30日 Mighty Mules' Bookstore
(2007年2月17日編集再掲載)