Anthony C. Winkler
1995年 LMH Publishing
白いジャマイカ人と移民、'70年代のジャマイカ
映画「ルナティック」「アナイアレーション・オブ・フィッシュ」の原作者、アンソニー・ウィンクラーが自身の体験を元にした作品。
ジャマイカに生まれ育った主人公がアメリカに渡り、教育者・教科書の執筆者として成功したあと'75年に帰郷する話。
もちろん題名にあもあるように、「教職につくため」ジャマイカに戻ってくる。
最初は「キツネは生まれ育った穴倉の匂いを好む」と言いながら、郷愁の思いで胸がいっぱいの主人公だが、時はマイケル・マンリーによる民主社会主義の時代。
これまで肌の色で恩恵を受けていた者たち(白人、肌の色の薄い有色人)は高まるブラック・ナショナリズムや平等の精神、社会主義政策をおそれて次々と国外へ移民中。
黒人も苦難を予感して海外脱出をもくろんでいる。
「そんなときにわざわざアメリカからジャマイカに戻ってくる?!」
周囲は主人公の理解しがたい行動に度重なる忠告をする。
しかし13年間故郷を離れていた彼に、その言葉に秘められた本当の意味を理解することはできないのだった。
まずこの本でテーマとなるのは移民と人種の問題である。
「ここ(新天地)が気にいらないなら故郷に帰ればいい」とはよく移民にぶつけられる言葉だが、果たして彼らは故郷にもどってそれまでどおりの生活をできるのだろうか。そして故郷を愛しながらも外国で暮らし続ける彼らの心情はどんなものか。
なぜ彼らは故郷に戻らないのか。
加えて著者のウィンクラーは白人である。
しかも家系に黒人の血がひとつも入っていない生粋のレバノン系ジャマイカ人。
しかし多くの読者が感じるように、彼が自分のことを白人だと書かなければ作品を読んだだけで彼の肌の色はわからない。
「ジャマイカ人のイメージ」なのだ。
ジャマイカというと黒人の国というイメージが強いので、「ジャマイカ人作家」というと黒人をイメージしがちである。
しかし「アメリカ人」と言ってネイティブ・アメリカンやコケージャン(ヨーロッパ系白人)、イタリア系、アフリカ系、中南米系、アジア系と様々な人種やバックグラウンドの人がいるように、一口で「ジャマイカ人」と言っても全員がアフリカ系黒人の血を引いているわけではない。
それにもかかわらずわたしたち外国人は、ジャマイカ人でさえも、「ジャマイカ人は黒人だけ」と思いがちなのも事実である。
生まれ育ったのはジャマイカなのに、アフリカ系以外の人たちはどこか故郷で居心地の悪い思いをしていたり、不当な差別を受けている。
ある国ではアフリカ系がマイノリティーとして差別の対象になっていれば、人口の大半をアフリカ系が占めるジャマイカ(国)においてはマイノリティーである白人がいわれのない差別や中傷を受けているのである。
そして彼らは「自分たちもジャマイカ人だ!」と叫びたくても、過去の奴隷制に対する加害者意識や、白人であるがゆえに受けてきた恩恵を引け目に感じてなるべく目立たぬように暮らしている。
現に白人の主人公も小さいの頃は子供たちにいじめられ、学校では人種的うっぷん晴らしで教師にムチ打ちされて育った。
しかしレバノン系の彼はイギリス系白人とも一線を画している。
まずレバノン系白人はアフリカ系ジャマイカ人を奴隷にした過去がない。
彼らは商売をするため、宗教的迫害を逃れるためジャマイカにやってきた人たちで、奴隷制や植民地支配とは無縁の存在である。
しかし大多数のアフリカ系から見ればレバノン系もただ白人に過ぎず、肌の色で多少なりとも恩恵を受けていると思う。
主人公の家が経済的に苦しくても家政婦を雇い、みんなが学校に行け、アメリカに移民できるだけでもやはり恵まれているのだ。
そしてウィンクラーも「もし自分がゲットーに生まれた黒人だったら、やっぱり白人を憎むと思う」と書いている。
ウィンクラー作品が肌の色を超えて多くのジャマイカ人に愛される理由を探るならば、彼が自分の肌の色を受け入れ、しかし外国人とも現地のイギリス系白人とも、黒人とも一線を引いて客観的に見る視線がフェアに感じられるからかもしれない。
時に「オレはジャマイカ人だよ、ラァァ〜ス!!」と爆発しながら、彼はじぶんのことを肌の色の白いジャマイカ人だと受け入れている。
それでは人種的な問題はクリアしたので主人公は故郷に帰れてしあわせかというと、一概にそうとは言えない。
暗記重視の教育システム、劣悪な教育環境、それに慣れてしまったジャマイカの人たち。
彼は地方の教師訓練校に講師として職を得たのだが、政府出資のその学校ではあくまで教員を養成するのが目的であって、さらに上の機関で勉強したいという学生の望みさえ平気でつぶしてしまう。
そしてそれを素直に受け入れる学生たち。
主人公はそんなジャマイカの現状に耐えかね、わずか1年でアメリカに戻ることになる。
もともとジャマイカはそんな国だったのか、変わったのは外国の生活を経験した自分だったのか。
いずれにしても努力の報われない故郷を離れ、「においが嫌いで、理解できない人たちの住む」アメリカを選ぶことになるのだった。
虫が多いのも、手ごわいネズミがいるのも、電話まで20キロ離れているのも、何をするにも時間がかかるのも、給料がスズメの涙でもガマンできる。
白人だからと中傷されるのもガマンできる。
でも生徒のことを思って新しい勉強法を教授し、大学入試のための勉強につきあったにも関わらず、それらが無駄な努力に終わってしまうジャマイカのシステムには我慢できなかったということだろうか。
この本はジャマイカが住みにくい土地であるにも関わらず愛されてやまない魅力と問題点を鋭く描いた作品である。
その語り口とユーモアのセンスはもはや名人芸で、「道理にかなわぬことを笑い飛ばす」というウィンクラーの(ジャマイカ人の)メンタリティーがよく表れている。
まっとうに努力して甘い果実を収穫しようとしたら、すっぱいレモンの実がなった。
そんなとき「これはないよ〜」と嘆き悲しむのではなく、「レモンがなっちゃったよ〜」と笑い飛ばす精神性がジャマイカの持つ強さでもあり魅力のような気がする。
そして主人公はそんな強さと多くの矛盾を抱えた故郷を最後まで愛し、貧しくても、狂気と紙一重のストレスや重圧にもめげずジャマイカで生をまっとうした祖父の墓の前で一人たたずむのだった。
参考:
「Claiming an Identity We Thought They Despised: Contemporary White West Indian Writers and Their Negotiation of Race」
Kim Robinson-Walcott、2003
2003年3月2日 グリーナー
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2005年9月20日 Mighty Mules' Bookstore
(2006年10月7日再掲載)