Clive Patrick Bowen
2006年 Japs Publishing
ジャメイカン・ギャングの自画像
今日ご紹介する本は、モンテゴ・ベイ出身のギャングが獄中で書いたフィクション。
アメリカに渡ったジャマイカ人ギャングが、ある事件をきっかけにイタリアン・マフィアと血で血を洗う戦いをすることになる話。
最初の舞台はモンテゴ・ベイ。主人公の父親が殺される場面で始まるのだが、父子二代の生き方がどれほど似通っているのかにまず驚かされる。
そして二人の価値観は、パートナーの選び方、仕事、あり方にまで見事に受け継がれている。
もし似たような描写の繰り返しを意図的にしたのであれば、代々続くギャングのサーガをよりドラマチックにすることに成功している。
と同時に、細かいところでの似たような描写は、著者自身の美学や理想が自然に現れた結果のようにも思えるのだ。
例えばこの本の中に描かれる恋愛は、すべて似た形態をとっている。
物語の主軸となる主人公と父親、弟のパートナーは、全員処女で育ちの良い女性ばかり。
初めてで唯一の相手である登場人物のこどもを、全員が身ごもって親に勘当され、彼女たちは愛する男性と生きる道を選んでいる。
ちなみにロマンチックな雰囲気を演出するための小道具、ベッドシーンまで、人が違ってもほぼ同じである。
また脇役として出てくる地元コミュニティーの女性たちは、みな働き者で余計なことをしゃべらず、愛情に溢れている。
男たちも忠誠心が強く、硬派。
裏切り者には容赦のない死が待っている。
この本はフィクションなので、エンターテイメント性は十分。
しかしどうやって警察に追われる犯罪者が外国に渡るのか、その裏取引はどうやってなされているのか。
アメリカに渡ったギャングがどうやって外国でビジネスを始めるのか、ドラッグ・ビジネスの複雑な構造などは、知る者でないと書けない具体性がある。
著者のボーウェンも本の主人公に似たバックグラウンドと経歴を持っているが、本人はこの本のことを「あくまでフィクション」だと語っている。
父子に継承される価値観やコミュニティーの人の描き方は、ドラマチックで一貫性がある。
これが自らもジャメイカン・ギャングだった著者の価値観の表れだとすれば、誇張や美化を含めギャング映画の影響を感じずにはいられない。
本書に登場するジャマイカ系のライヴァル・ギャングや警察までもが、反目しながらも海外では同郷者に共感を抱いたり、肌の色でつながったりする瞬間は「アメリカ」という舞台ゆえか。
途中で本がおけないほど一気に読まされる娯楽小説。
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