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ジャマイカ到着

 1845年、インドからの労働者第一団がオールド・ハーバー・ベイ(ジャマイカ南海岸。キングストンの西)に到着します。 彼らはインド北部から来た30歳未満の男性200人、女性28人、12歳以下の子供33人、合計261人でした。 翌年は1,852人、その翌年には2,439人がジャマイカに到着しました。 この時点でインド政府は一端移民を休止し、この制度がうまくいくか様子をうかがうことにします。 そして再度労働者が送られたのは11年後の1859年です。 1870年代までにインド政府はこの企画がインド人にとって大変な苦難であることを認めながら、第一次大戦中を除きずっと奉公人制度は続行されました。
 ジャマイカ到着後、インド人労働者には洋服1組、農具、調理器具が与えられます。 20人〜40人のグループに分けられ、らばの荷馬車に乗り、後はスシ詰めの列車に押し込まれて、ポートランド、セント・トーマス、セント・メアリー、 クラレンドン、ウエストモーランドにあるプランテーションまで送られました。 駅からプランテーションまでは歩かされるのが普通でした。 プランテーションに着くと週5日から6日、日給1シリングで働かされ、生活環境は劣悪でした。 3、4部屋あるほったて小屋が用意され、その1部屋ごとに数人、1家族が割り当てられました。 毎週給料から2シリング6ペンスが米、小麦粉、干し魚、山羊、豆、調味料代として差し引かれます。 子供への配給は大人の半分で、労働者は皆子供を大切にするよう指導されていました。 子供には3ヶ月に1度医療検診もありました。
 インド人が年季奉公人としてジャマイカにやってきた約70年間、彼らの宗教や文化的習慣に対する配慮はほとんどありません。 キリスト教以外の労働組合は1956年まで認められていなかったので、インド人の多くが必要に迫られてキリスト教に改宗することになります。 ジャマイカでの契約労働期間は1年から5年。 毎年2週間の長期休暇が認められていました。 病気やけがなどで契約期間終了前にプランテーションを去るときは、残りの期間を給与計算して雇用主に支払わねばなりませんでした。 しかも労働者は許可書なしにプランテーションを離れることもできません。 もし許可書なしにプランテーションの外にいるところをみつかったり、病気などで仕事ができないときは、罰金や禁固刑が科せられました。 労働者がイチゴ種(熱帯伝染性皮膚病)や十二指腸虫病、マラリヤなどの熱帯伝染病にかかることも多かったのですが、 マラリヤ防止の為キニーネ剤が支給されることはありませんでした。
 契約期間が終わると、彼らは「労働期間終了インド人」とみなされ、自由の身である証明書が発行された後、ジャマイカ国内を自由に移動できる ようになります。 そして契約期間終了後2年以上経ってから、やっと母国に帰るための申し込みができたのです。 もし帰国の申し込みをしなければ、10年以上ジャマイカで仕事をしていても市民権は認められませんでした。 もちろんプランテーションの労働者として契約を更新することもでき、彼らは「2期目のクーリー(インド人を指す蔑称)」と呼ばれましたが、 契約更新という選択をするインド人はほとんどいませんでした。



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