ユダヤ系ジャマイカ人とポート・ローヤル
ユダヤ人の多くは商人か両替商でしたが、ポート・ローヤルで栄えた入植者たちとは違います。
アムステルダム、オランダ植民地だったキュラソー、サバ、
デンマークのセント・トーマス、ジェノヴァ、ベニス、北アメリカ、ロンドン、トルコ、インドなどのようにユダヤ人が暮らしていた商業の中心地間の
交流は盛んでした。
ユダヤ系ジャマイカ人はスペイン語を話すことができたので、これがスペイン系アメリカでの商売成功に結びつきました。
コショウやココア、バニラ、ピメント、砂糖などが取引されました。
19世紀までになると、ユダヤ系商人一家から造船業や建築業に転職する者もでてきます。
農園主以外のユダヤ系ジャマイカ人は、奴隷を2人まで持つことが許されていましたが、ユダヤ人の農園主はほとんどいませんでした。
加えて彼らはユダヤ系の年季奉公人しか使用人に使えないという決まりでしたが、法律自体がゆるかったので無視されることがほとんどでした。
これは注目すべき点ですが、1520年代ブラジルに砂糖の栽培技術をもたらしたのはユダヤ人です。
彼らは1530年頃、ジャマイカにもその技術をもたらしました。
残念なことに、ポート・ローヤルには当時のユダヤ人の暮らしを物語る資料がほとんど残っていません。1692年の有名な大地震を生き延びた
エドモンド・ヒースの記録に、キャノン・ストリートと平行して走っていたニュー・ストリートにはユダヤ教会もあって、ユダヤ人の多い通りだったと書かれています。
ポート・ローヤルにあるユダヤ人を語るものに、ハンツ・ベイの墓地があります。
17世紀、ユダヤ人の遺族が亡くなった家族の亡骸をわざわざ船で運んで埋葬する風景も頻繁にみられたようです。
1692年のポート・ローヤル大震災を生き延びたユダヤ人のほとんどは、スパニッシュタウンやキングストン、モンテゴベイなど島中の
知人を訪ねて移動しました。
基本的にユダヤ人は大きな町を好んだようですが、ジャマイカでは島中に散らばって暮らしていたのです。
それはキングストンからサブラマー、クラレンドン、ポートマリアまでに点在するユダヤ人の墓地跡で確認することができます。
1700年までその宗教ゆえに二級市民とされていたユダヤ人ですが、皆商人として概ね成功しており、ジャマイカの税金の大部分をユダヤ人が払っていたと記されています。
それは1740年代にキング・ジョージ2世が多くの嘆願書を受け取り、ユダヤ人に対する過度な課税を取り除くまで続きました。
それから100年以内にユダヤ系ジャマイカ人は選挙権が与えられ、政治力を身につけていきます。
1849年までに議会47人の内8人がユダヤ人で、その年に贖罪の日(10月の上旬、ユダヤ人が断食をして祈りを捧げる日)には議会を開かぬことを決めました。
近代の政治でこのようなことが決められたのは初めてでした。
キングストンのユダヤ人
18世紀半ば、政治においても経済においてもスパニッシュタウンが衰退していくと、ユダヤ人はキングストンに目を向け始めます。
最初のユダヤ教会は1744年に建てられたといわれていますが、1882年に起きたキングストンの大火事で焼失。
1787年にはアシュケナジーのユダヤ教会が建てられました。しかしそれも1882年の大火事で焼失、1887年に再建されます。
19世紀の半ばから後半にかけては、アシュケナジーとスファラディーが合同で連合イスラエル会衆 United Congregation of Islaelites を設立。
デューク・ストリートに教会を建設しました。
しかし1907年、全ての教会はじめ多くの建物がキングストン大地震で倒壊。
1912年にヘンリーク兄弟はレンガではなくコンクリートでSharei Shalom教会と連合会衆教会をデューク・ストリートに建てました。
落ち着いた白の建物は素晴らしく、その教会は今も使われています。
床は西半球にある教会と同じで、ユダヤ人が密かに信仰を続けることを強いられてきた名残として砂で作られ、足音もせず、足跡も残らない
作りになっています。
その他にも契約の箱(モーセの十戒を刻んだ石板を納めた箱)、1921年に2つの異なる会衆であるアシュケナジーとスファラディーが
ジャマイカで統合したことを祝う、2つの永遠に消えることのない明かりなどのシンボルが残っています。
現在は礼拝も風習も正統派だった過去とは異なり、礼拝は自由保守型、聖歌はヘブライ語で歌われますが、英語で礼拝が行われることもあります。
しかし「Bendigamos」はスペイン語で歌われています。
世界中のスファラディーの伝統として、食事の後ジャマイカではユダヤ人がスペインから追放された名残の休日、スコット(仮庵の祭)の夜には「Bendigamos」が歌われるのです。
2005年のユダヤ人、ジャマイカでの自由な宗教慣習350周年を前に、ユダヤ系コミュニティーは準備を始めています。
現在ユダヤの慣習を続けている人は約200人にまで減っていますが、単にユダヤ人の血を引くと考えたときの人数は、この限りではありません。
ユダヤ教を信仰していなくても、ジャマイカ人の多くはユダヤ人の子孫なのです。
<参考資料>
『 The Portugees Jews of Jamaica 』
Mordechai Arbell、2000年、UWI Press
『Historic Kingston Churches』 M. Curtin、2003年、
『 Tapestry of Jamaica: The Best Skywritings 』 p93-96より
Creative Communications、Macmillan Publishers
『 Spanish and Portugese Jews of Jamaica』、R. Depass-Scott
(『 Jamaica Journal 43 』 p91-100より)
『 Jamaica- A dwindling Jewish community celebrates Rosh Hashana 』
Miami Herald、1999年9月10日
<注>
「ジャマイカ・トピック」でご紹介した一連の文章からは、基本的に参考文献の引用注を省いています。
さらに詳しくジャマイカにやってきた移民のことを知りたいという方は、グリナー社の
「Pieces of the Past」原文をごらんください。
貴重な写真なども載せられており、また新たな関心を寄せられることと思います。
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2003年11月20日 Mighty Mules' Bookstore
(2007年1月6日再掲載)