行商から小売店経営者に
行商人を始めようとする者はとりあえず店の場所を決め、すでに成功をおさめていたレバノン/シリア・
コミュニティーからお金を借りて品物を買い、家を一軒一軒まわって商売していました。
そして商売が軌道にのってくると、まずロバを買い、次に馬と荷馬車を買い、後に自動車を購入しました。
品揃えは限られているとはいえ、顧客は家で買い物ができるという便利さを喜んでいました。
そして行商人は十分な資金が貯まったところで乾物屋を開き、それらの多くは今もダウンタウン・キングストンのオレンジ、キング、ウエスト・クイーン、ハーバー・ストリートに
残っています。
Issa's、Joseph's、Shoucair's、Hanna's、Bardowell's、G.E. Seaga and Sons(野党党首シアガ氏のおじいさんが始めた店)などがそうです。
初期移民の多くがギリシア正教会を崇拝していましたが、ジャマイカに教会がないことを知ると、英国国教会、カソリック教会に移りました。
レバノン系移民は新しい言葉を学び、中国系、インド系、アフリカ系、ヨーロッパ系のひしめき合っているジャマイカ社会に融合し、信仰も変えたのです。
レバノン系移民の中にはSchweifat出身者のように学校で英語教育を受けて英語を話す者もいたのですが、英語の喋れる者が他の者に
比べてジャマイカ社会に馴染むのが容易だったことは優位に働きました。
その他、特に第二次世界大戦中ジャマイカに移住して家族に合流した者はフランス語を話していたので、イギリスの英語にも、ジャマイカ風の英語にも
慣れるのにずっと時間がかかりました。
やがて多くのレバノン/シリア系移民たちがビジネスで成功を収めます。
彼らは節約家であると同時に働き者でした。
どんどんレバノンに帰る人の数は減ってゆきます。
実際多くのレバノン系ジャマイカ人たちは、母国に帰って妻をみつけたり、両親の代のように自分達の文化を大事にするということはありませんでした。
第二次大戦が伝統を壊したのです。
よってレバノン系移民の2世、3世はさらにジャマイカ化されていきました。
貢献
レバノン人たちはジャマイカ料理の主食にシリアン・ブレッドと呼ばれる平たいパンを加えました。
以前ミス・ジャマイカ、ミス・ワールドに選ばれたリサ・ハナ・パントンはレバノン系です。
Hana、Mahhood、Issa、Joseph、Ammar、Azan、Shoucair、Karam、Younis、Khouri、Fadil、Feanny、Dabdoub、Matalon、Ziadie という名前は
小売、観光、競馬、工業、製造業の重鎮たちを指します。
そして言うまでもなくレバノン系で最も有名なジャマイカ人は、元ジャマイカ労働党党首であり、元総理大臣のエドワード・シアガ氏です。
彼の経済的、社会的、文化的開発に対する貢献は多大なものです。
レバノンの歴史
レバノンは独立して60年が経とうとしています。
2つの世界大戦中、レバノンはフランスの植民地でした。
そして1920年代までの400年間、レバノンはオスマントルコ帝国の支配下にあったのです。
1946年にレバノンは独立を勝ち取り、主な宗教グループであるマロン派キリスト教、スンニー派イスラム教、ドゥルーズ派イスラム教に政治権力配分をする国家協定を制定しました。
1950年代初めまでに、何千人ものパレスチナ人が難民としてやってきたことからレバノン国内の緊張感は高まり、
シーア派イスラム教徒が最大の宗教グループになりました。
そして1975年、異なる宗教間で残酷な市民戦争が勃発したのです。
1978年と'82年にはイスラエルが侵攻し、シリアも軍事干渉を行いました。
(シリア軍は今だレバノン国内の様々な場所に駐留し続けています。)
1990年に停戦が発表され、1992年までに内戦は終了しました。
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2003年11月17日 Mighty Mules' Bookstore
(2006年12月16日再掲載)