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 彼の家は、地面にそのまま建ててあるような掘っ立て小屋だった。 間取りは1つ。奥に床をつけた部分があり、その上にベッド。その上にクロゼット代わりの大きなスーツケース。 土間には椅子がひとつだけ。 地面にはアブラハム・リンカーンやマルコムX、キング牧師の本が散乱していた。 家の片方は白アリに食われて、壁が床から浮いている。



「ごはんができるまで、本でも読んでればいい」
そう言われて近くにあったリンカーンの本を手にとるが、泥と湿気でとても集中して読めるかんじがしなかった。 彼はベッドの方で着替えている。
「これは、農作業するときの服だから」
そう言ってアーチストのプロモーションに使うような、大きな一枚のモノクロ写真を持ってくる。 めがねをかけ、パジャマの上にバスローブを着た中年女性の写真だった。
「これ、彼女なんだ。イギリスに住んでる」
会計会社で事務をしているという彼女は、特に美人でも、セクシーでもなかった。 堅実な、まじめな印象。 きっと彼のためにスナップ写真を引き伸ばして送ってきたのだろう。 彼は彼女からの手紙が入った封筒をいくつも見せてくれる。



彼と彼女の親は知り合いで、二人ともその村の出身。 小さいころにお互いを紹介されたが、付き合い始めたのはその37年後、彼女がイギリスに移住してからだと言う。 その間彼はキングストンで警官をしていたが、そのころの彼は女性にうつつをぬかして勤務中にサボタージュすることが多かった。 それが原因でクビになり、行くあてもない彼はこの村にもどり、おばあさんと今の家で同居し始めたことを話した。
「若さってのは、愚かさだな」
彼の流暢な英語と広い見聞、外国人との接し方を知っているのは、元都会の警察官だったからなんだと納得した。



そこへ、彼の携帯が鳴る。 どうやらうわさの彼女らしい。
「うん、今お客さんが来てて、彼女にごはんを作ってるとこ・・・うん、“ 彼女 ”だ。女の人一人なんだ・・・ちがう、ごはんをご馳走するだけ・・・ごはんを食べたら帰るよ」
わたしが来ていることを話したので、案の定彼女に誤解されている。



「彼女は取材でこの村に来て、ひどい辱めを受けたんだ。お客さんは、お客さんの扱いを受けるべきだろ? 彼女をこのまま帰すわけにはいかない」
彼が電話でそう言うのを聞いて初めて、彼はじぶんを気遣ってもてなしてくれていることに気づいた。



すると 「さっき話した彼女だよ」 と言って電話を手渡してくる。
「スーザン? あなたのことは彼から聞いています。どうも、お世話になっててすいません」
ぼーっとしていて彼女の名前を間違えてしまうわたし。 スーザンじゃなくてジェニファーだ!と気づいたときはもう遅い。
「スーザンって誰よ! スーザン? ○×△●!!!!」
彼女を安心させるどころか、逆に変なことになってしまった。 電話口で叫びつづける彼女に、「ごめんなさい、ぼーっとして名前を間違えてしまって。 ジェニファーですよね、ジェニファー」と言ったところでもう遅い。 仕方がないので叫び声を聞きながら、申し訳なく思いつつ彼に電話を返す。 しかし彼は何も動じることなく冷静に誤解を解き、少し話して電話を切った。



「ごめんなさい。わたしが名前を間違えたばっかりに。。。」
「かまわんよ。彼女はいつもこうなんだ。離れて暮らしてるから、いつもヤキモチばかりやいてる。何も心配することなんかないのに。いつものことだから」
過去のことはどうあれ、今の彼が浮ついた生活をしていないことは明らかだった。 それはわたしへの接し方をみてもわかる。 彼女もそれはわかっているだろうに、やっぱり好きな人と別れて暮らすのは、女性を不安にさせるものなのだ。
「ジェニファーと前回会ったのはいつ?」
「去年の7月。彼女、この家に来たんだ。アンタが座ってる、その椅子に座ってた」
そう言って彼は椅子を見る。 彼が彼女を一筋に愛していることは一目瞭然だった。
「ジェニファーのこどもはもう大人なんでしょ? 旦那さんがいるわけでもなく、ジェニファーもあなたのことを愛してる。どうして一緒に暮らさないの? イギリスか、こっちで」
そう言うと、
「彼女がこっちで暮らすのは無理だな。まず仕事がない。 ・・・あのバナナ園の仕事? あんな仕事は彼女にさせられないよ。彼女はデリケートにできてるんだ。農園の仕事ができるようなタイプじゃない。それにオレも彼女にはあんな仕事をしてもらいたくないからな。彼女は、ただそこにいてくれたらいい。ラフな仕事なんかさせたくないんだ」
「じゃあ、あなたがイギリスに行くっていうのは?」
「それも無理。外国でなんか暮らせないよ」
「じゃあお互い好き合ってるのに、いっしょになれないじゃない」



わたしには理解できなかった。 二人とも人生の折り返し地点を過ぎ、お互いを思い合っているのに一緒にはなれない。 障害になるものもないのに、イギリスとジャマイカ、離れて暮らしているなんて。
しかし同時に、彼らの事情がまったくわからないでもなかった。 きっとお互いの生活を変えるには、二人とも年をとりすぎているのだ。二人は50代。 人生に失敗した彼の現金収入は、バナナ園での仕事だけ。外国暮らしに慣れた彼女が、こんな山の中で、水道も電気もない家には住めないだろう。 かといって彼もこの年で町に出て新しい仕事を探すのが困難なのは想像に難くない。 それを二人はわかっているのだ。 ずっと、このまま二人は会えない恋人を心の支えにして生きていくのかもしれない。そんな気がした。



わたしはそのあとヤム芋と肉の残りをご馳走になって山を降りる。 彼はさらにわざわざ着替えて、乗り合いタクシーの拾えるところまで見送ってくれた。
「そういえば、わたしあなたの名前を聞いてない。ごめんなさい。わたしは森本幸代です」
「おれはL」
お互いの連絡先を交換するが、今度わたしがこの村に来るまで彼と話すことはないだろう。
彼も偶然出会った外国人に電話をかけてよこすタイプではない。
「ほんとうに、いろいろありがとうございました。ご飯までご馳走になってしまって。。。」
「たのしかったかい?」
「ええ、あなたに会えてよかったです。もしあなたに会わなければ、この村を見ることもなく、あのまま打ちひしがれて町に帰るところでした」
「こんどこの村に来るのはいつだい?」
「そんなにしょっちゅうジャマイカに来ることはできないので、来るとしても何年後かになると思います。でもここに来たら、かならずあなたに会いに行きます」



わたしは彼の拾ってくれたミニバスに乗り、Lに別れを告げる。 流れる車窓の景色を見ながら、わたしはLとジェニファーのことを考えていた。 好きでもいっしょになれない二人。 生活の違い。それは絶望的な事実なのに、それをわかった上で、二人はお互いを孤独な生活の糧にして生きている。 愚かな過ちで道を踏み外したL。そしてそれを簡単に取り返せるほど、ジャマイカは甘くない。「こんなに知性と良識がある人なのに」と一瞬思ったが、知性と良識があっても貧しい人は山ほどいるのだろう。 そしてイギリスに移住した中年のジャマイカ人女性は、夫を亡くし、再び故郷の男性を愛している。



ちょうど学校が終わる時間。わたしはにぎやかな小学生に囲まれ、雨の上がった空を見た。
ひざの上ではスターアップルと熟れたバナナが高貴な食べ物のように揺れていた。



2/2

2007年4月11日 森本幸代

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