翌朝は宿のオーナー、その町のとりこになり、15年も夫婦で通い続けているという白人女性のDを交え、町のことをおしゃべりして始まった。
以前は観光客も多かったが、メインの観光スポットがいくつもハリケーンの被害を受け、今は観光客が極端に減っていること。それと同時に、この静かな町にもハスラーやピンプが急増したこと。
「わたし、今日宿の人たちとビーチに行くの。一緒に来ない?」
Dからの突然の誘いに、わたしは目を輝かせる。
「えっ、何時にここを出るの?」
「10時。 どう?」
「10時か・・・ それはちょっと早いなぁ。午前中は別の用事があるから、午後から合流しようかな」
「午前中はどこに行くの?」
そう聞かれたので「○○」と答えると、「○○?! 一人で?!」と二人は声を上げた。
○○というのはこの町の有名な観光スポットでもあるのだが、今は人気(ひとけ)もなく、そんなところに女一人で行くのは危険だというのだ。
「でも・・・」
言葉につまるわたしにDが言う。
「○○はやめて、いっしょにビーチに行ったらいいじゃない。ねぇ?」
宿の主人も同じ意見だった。
しかし取材の進行状況は遅れ気味で、それをせず遊びに行くのは気が引けた。多少の無理はやむをえない。それまでも高額なガイドやタクシー運転手に金額を聞いては、手持ちの少ない外国人が動く難しさを嫌というほど実感していた。少々の危険を冒してでも一人で行くか、それとも・・・。
しばらく考えた末、ある賭けに出る。
「ねぇ、市場の八百屋さんで働いてるJって人知ってる? あの人についてきてもらったら、○○行ってもだいじょうぶかな?」
二人はこの町でも一目置かれた存在。彼女たちがJと行ってもだいじょうぶだと言ったら、おそらく大丈夫だろう。それ以外、そのときは思いつかなかった。
「うーん、Jかぁ。Jで悪いうわさは聞いたことないけど、彼とは知り合いなの?」
「ううん。何回か偶然会っただけ」
「でもあの人仕事があるでしょう」
「うん。これから彼をチェックしてみて、一緒に行ってくれるっていったらお願いする。で仕事があってダメだったら、○○はあきらめて一緒にビーチに行くよ」
それからわたしは、まずJにどうやって昨日までの非礼をわびるか考えつつ市場に向かった。どうやらうるさいハスラーだと思ったJは、そう悪い人でもないらしい。でも自分は日本人観光客。女一人でもあるし、知らない人には警戒して当然なのだ。
「おはよう!」
わたしは何事もなかったように声をかける。Jは一瞬「あぁ!」と友達に会ったような笑顔を見せたが、次の瞬間には市場に出始めたマンゴーを並べながらこちらを見ない。やっぱり気分を悪くしているんだと思い、わたしは軽い感じで続けた。
「昨日はごめんね。ちょっとビールが飲みたくて落ち着かなかったんだわ。タバコも切らしてたしね」
「酒もタバコも体に悪いんだぞ」
「うん、わかってるけどやめられなくて。それでさ、今日って何時に仕事終わるの?」
一瞬Jがこっちを見る。
「明日裁判所に行くから、今日は昼まで。なんで?」
「いやね、○○に行きたいんだけど、タクシーやガイドを雇うお金はないんだわ。 それでね、もしJがよかったら案内してもらえないかと思って」
Jはすでにきれいに並んだ品物の、どこを触るでもなく手を動かしている。そして「ほら」と言ってマンゴーをひとつ渡す。
「何?」
「アンタにやるわ。甘いから食べてみな」
こうしてその日はJの仕事上がりを待って取材に行き、そのあとビーチにいるDをチェックすることになったのだった。
話をしてみると、Jは意外に読書家であることがわかった。わたしが『ボーン・フィ・デッド』を訳したことを話すと、「『ボーン・フィ・デッド』! あの本、買ってはないけど3回読んだよ。すごい本だよな! デルロイがよ・・・」と興奮していた。
しかし同時に、「彼の悪い噂は聞かない」とD達は言っていたが、わたしに警戒心を抱かせた原因がなにかもわかった。
彼はイギリスからのディポーティー(強制送還者)で、3年間刑務所づとめをしていたという。向こうにはベイビーマザーと6歳の息子がいるらしいが、市場の仕事では仕送りはおろか、会いに行くのも難しいだろうと思った。
「パスポートだけは期限切れにならないようにしてるんだ」
「それで、なんで裁判所に呼ばれてるの?」
「違法路上販売」
「罰金は?」
「1万6千円」
「そんなお金あるの?」
「ないよ」
わたしが今日のガイド代を出すわけでもないのに、聞くだけ野暮だった。わたしたちは○○に向かう道すがら、話を続ける。
「パスポートの更新に貯めてるお金をまわせば?」
「それには手をつけたくない」
きっとその貯金も、更新にはほど遠い額なんだという気がした。
Jは都会生まれの35歳。お母さんは洋裁師のシングルマザー。Jは3人兄弟の長男だったが、15歳で学校をドロップアウト。家具職人の見習いになるも長くは続かず、近所のギャンググループに加わる。それからイギリスで何年か過ごし、捕まって強制送還。ジャマイカに帰ってきたのは18ヶ月前だという。
「なんでこの町に来たの?」
「友達がいたから」
都会出身の人には、ここは狭すぎるんじゃないか・・・。
「オレはいつまでも人に雇われてるつもりはないよ。いつかじぶんの店を持つのが夢なんだ。学校に行くこどもにお菓子を売ったりね。物を売るのが好きなんだ。こども相手にお菓子を売るのは楽しいだろうな・・・」
Jは夢を語って嬉しそうだった。
「でも・・・そんなストールぐらいのお店じゃ、稼げるお金も限られてるでしょう。その店を大きくしようって気はないの? ほんとにそのストールが最終目標?」
「そうだよ」
冷めた言い方だが、35歳の男性が持つ夢にしては、少し小さすぎないか。
「イギリスの息子さんにも会いたいだろうし、ね。がんばって働かないとね」
Jは返事をしなかった。
わたしたちが町に戻ると、もう夕方になっていた。
「なぁ、オレの家見たい?」
わたしは正直Jの暮らしに興味を持っていたが、一人でよく知らない男の人の家に行くのは、いくらなんでも無防備すぎる。人にも誤解されかねない。以前山間の村で出会ったLとはちがい、やはりJにはなにか引っかかるところがあった。
わたしはいったん宿に戻ってから待ち合わせすることにし、宿の主人に今からJの家に行くこと、遅くても30分以内に戻ってくること、もし戻らなければ携帯に電話をもらえるか?とお願いして名刺を渡す。Jにはさんざんお世話になっておきながらここまでするのも失礼だが、念には念を入れておきたかった。
Jはわたしを見ると「やぁ!」と嬉しそうに迎えてくれる。利己的なお願いで彼の半日をつぶし、今度は下世話な好奇心で動いているじぶんの胸が痛んだ。
Jの家は一見ひとつの家に見える集合住宅で、もちろん部屋に水道やガス、電気はない。一間にベッドと机、椅子があるだけ。部屋の隅に一山、ラスタ関連のペーパーバックが積まれているのが印象的だった。
「Jってラスタなの?」
よく見ると、ハイレ・セラシエの写真や、小さな祭壇のようなものもある。
「ドレッドは、伸ばしはじめたばっかりなんだ」 そう言って恥ずかしそうに髪の一房をねじった。
35歳で、水道や電気もない家。しかもこれは山の中じゃない。町中で。
「トイレはどうしてるの?」
無作法な質問に疑問を感じる風でもなく、Jはタライをつきだす。
そうか、これか。
わたしは閉まらない部屋のドアを見て、とても残酷なことを思ってしまった。
Jのささやかな夢も、彼にとってはかなわない夢なのかもしれない。路上のストールも、また違法な路上販売にならないのか。それを知った上でまたやるしか方法がないのか。それとも同じ過ちに気づいていないのか。
それに、Jは将来のビジョンに結婚やこどものことを語っていなかったが、これじゃまともな女の人がJを相手にするわけがない。
彼はじぶんの置かれた状況をわかっているから話さなかっただけなのか。 とても絶望的な感じがした。
後ろを振り返ると、「晩ご飯」と言ってコップの中身をかきまぜているJがいた。そしてラスタの祈りをささげると、コップをこちらに突き出す。わたしは「ありがとう」と言ってそれを受け取り、スプーンで一口くちに運ぶ。甘い。おいしいが、とてもお腹の足しになるようなものではなかった。
「宿の人に30分で戻るって言ってあるから、わたし帰るね」と言って部屋を出ようとすると、Jは裁判所からの出廷命令を持ってくる。そこにはたしかに明日の出廷日と告訴理由、罰金の金額が書かれてあった。
わたしはポケットにあった2千円を手渡し、「今日はほんとにありがとう。 裁判、うまくいくといいね」とだけ言ってJの家をあとにする。
翌日、わたしは町を発つ前Jに会いに市場へ行くと、昨日まであったところに八百屋がなかった。そこだけぽっかり場所が空いているのだ。どうやら店の持ち主が場所代を滞納し、昨日の夜逃げたらしい。「こんなふうに、お店がなくなることってあるの?」 事情を教えてくれた人に、思わず問い詰めずにはいられなかった。
「こんなことしょっちゅうだよ。これがジャマイカさ」
Jは朝から裁判所に行っているはずだ。このことを知っているのだろうか。
わたしはキングストンに向かうバスの窓から、Jがうれしそうにキャベツを切っていた場所をみつめる。そこにはただぽっかりとした空間が残っているだけだった。
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2007年4月15日 森本幸代