ルイーズ・ベネットと語る
Lilieth Lejo Bailey
Caribbean Writer on line
―― あなたは作品の中で特に何と限定することもなく、様々なジャマイカ人の生活、死に対する姿勢などを取り上げていますね。
ミス・ルー: 大体講演でもディンキー・ミニー(Dinkie Minnie)の話から始めることが多いんです。
これは亡くなった人の家族を励ましたり、悲しみをぬぐうための行事ですね。
―― ナインナイトみたいな?
ミス・ルー: やる目的は同じですけど、ナインナイトとは違います。ディンキ―は人が亡くなって8日間するんです。
その人が亡くなった晩から8日目の晩まで。
ナインナイトはもっと宗教色が強いですね。
でもディンキー・ミニーは亡くなった方の家族を慰めるためにあるんです。
それに8という数字にも大きな意味がある。
―― アフリカの宇宙論的にですか?
ミス・ルー: そう、アフリカの伝統です。
デンィキー・ミニーについては本当にいろんなところでお話しさせてもらいました。
何年か前にイギリスである男の人と話をした時のことなんですけど、その人は弁護士で、法律を勉強するためロンドンに来たそうです。
彼は「もうすっかりイギリス人になってしまって、イギリス人の目で物事をみるようになった」と言っていました。
「前はお葬式に行くと本当に悲しい気持ちでいっぱいだった」って。
だからわたしは言いました。「わたしたちの文化では踊るのよ」って。
その人はわたしの話を聞くまで、お葬式で踊るなんて原始的だと思っていたみたいです。
そしてそんな原始的な自分の文化を、ずっと恥ずかしく思っていたと。
でもわたしが講演でディンキーや陽気さについてお話した。
「ディンキーではお腹の底から笑って、悲しいことなんか何もないのよ」って。
そういう文化はわたしたちのフォークソングにもよく見られます。
歌詞をよく聞けば悲しい歌なんだけど、曲調は明るい。
これがディンキーの精神ですね。
ディンキーは明るいものなんです。
「Linstead Market(リンステッド市場)」も同じですよね。
「アキを持ってリンステッド市場へ。だけど全然売れない」なんて悲しい歌でしょ?
だけどそういう歌を悲しげに歌うんじゃなくて、元気一杯、明るく歌う。
―― つまり深刻なことをとりあげているんだけど・・・
ミス・ルー: 明るく扱う。
ジャメーカン・フォークソングの多くはディンキーの伝統を引き継いでますから、創造の中心はディンキーにあるといっていいんです。
「Judy Drownded(ジュディが溺れた)」「Herrin' an' Jerk Pork」なんかも同じですよね。
テーマが何であれ、時事性のあることが大事なんです。
その時話題になっていることは、何にでもメロディーをつけて歌う。
―― それは今も変わりませんよね。
ミス・ルー: そう。ディンキーはずっと続いていくんです。
そしてディンキーの中に悲しみが秘められていることにも気づくでしょう。
人は誰かが心の中ではちっとも浮き立っておらず、振り払うことのできない悲しみを抱えていると気づくとき、
「ああ、この人はすごく辛いんだ。辛いのに泣くのを我慢している。
思う存分泣かせてあげなきゃ。」と思うんですね。
大体ディンキーのダンスは輪になって行われ、皆で手を取り合って踊ります。
もしそれが子供を亡くした女性の場合、輪の中心に母親と、死んだ子の代わりとなったこどもが横たわるんです。
そしてみんな二人のまわりを歌いながら回ります。
「泣いていいんだよ、泣きなさい。
あなたの子が死んだんだから泣きなさい。」
という感じで。
そして輪の中心にいる女の人が叫んだら歌と踊りをやめます。
家族を亡くした人は叫ぶんです。
そしたらまわりにいる人たちは彼女を抱きしめる。これで悲しみに暮れる彼女は死んだものとします。
それからはもっと過激で、軽い感じの曲を歌い、その女の人を踊らせるんですね。
そういう話をロンドンの講演でもお話しさせて頂いたときに、例の弁護士の男性が来て言ったんです。
「わかるでしょ。わたしにもそういう経験はあるんです。
イギリスに来てもう何年も経ちますけど、ずっとジャマイカには戻ってなかったんです。」
彼のお父様が亡くなったという知らせを受けて、その人はすごく悲しんだみたいですね。
いろんな思いに、押しつぶされそうになってた。
ずっとジャマイカに帰ろうと思えば帰れたのに、自分がそうしなかったせいで親の死に目にも会えなかった。
学校に行くため出て行ったきりだったんです。
それまで親が自分にしてくれたこと、いろんなことを考えながらジャマイカの空港に着いて、3人の兄弟が迎えに来たわけです。
そしてだんだん家に近づいていくと、音楽やドラムの音が聞こえてくる。
でも彼はずーっと黙って悲しみに暮れていた。そして心の中で思ったわけです。
「俺の親父が死んだのに、みんな踊りをおどったりしている」って。
だけどそんなことを口に出して言ったりしませんでした。
ただ黙って家の中に一人座っていました。
すると兄弟が来て「お前も一緒に踊ろう」と言う。
「踊る?どうして踊れるんだよ、父さんが死んだんだぞ。」って彼は答えたそうです。
すると「そうだ、お前の父さんは死んだ。さぁ来い」と言って彼の腕をつかみ、ドラムの鳴り響く中に連れて行ったんです。
彼は動きだしました。そして踊り始めたんです。
彼は我を忘れてドラムのビートに身を任せていました。そしてハッと我に返ると、
さっきよりずっと気持ちが楽になっていたんです。
彼はわたしに言いました。「ほんとうにあれはいい経験でした。あれほど
効果があるとは思ってもみませんでした。」
それからその人はものの見方
もガラっと変わったそうです。
―― それはあなたのお仕事が人の過去と結びつくということですか?
それを目的にして詩を書いたり、演技したりしていらっしゃるということでしょうか。
ミス・ルー: (笑)違います。わたしの仕事はただみんなが自分のことばに自信ち、大切にするよう気づかせることです。
ずっとジャマイカ人を対象に活動してきたのですが、ある日わたしが舞台袖で出番を待っていると、暗闇の中で人の話し声がしたんです。
それが誰かはわからなかったのですが、一人は言いました。
「ミス・ルーのこと、どう思う?」って。
―― それはまだ初期の頃のお話しですか?
まだ駆け出しの頃?
ミス・ルー: そうですね。まだ本格的に初めて1年かそこらだったと思います。
そしたらもう一人が言うんです。
「ミス・ルー?いいと思うよ。でも彼女には限界があるよな。自分で限界を決めちゃってるんだよ。
あれじゃジャマイカ以外でショーができないだろ。せいぜいポート・ローヤルが精一杯だな。」
まぁそんな風に二人は話してたわけです。
わたしは思いましたね。もしジャマイカ人に自分のメッセージが伝わるんなら、それで十分だって。
でも実際ジャマイカ人は世界中にいるってことを、その人たちは忘れてたんですね。
ジャマイカ人は海外に進出してますし、移動の好きな国民でもあります。
冒険を恐れない。
そういう国民性があるからこそわたしはいろんな国に行き、自分のことばを大切にしようというメッセージを伝えてきたんです。
―― しかしみんながイギリス人になりたがっていた時代に、あなたはちょっと異色だったんじゃないですか?
しかしあなたは一人で自分のことばの価値を見出し、ジャマイカ文化のよさを理解していたんですから素晴らしい。
そういう考え方に至った影響などはありますか?
ミス・ルー: たぶん昔から人やことばに興味があったからですね。
うちの母は洋裁師で、漁村の人から炭鉱の人、総督夫人までいろんな人の服を縫っていました。
お客さんはみんな女性だったんです。
母は17年ほどキングストンに住んでいましたが、ずっと田舎の人のようでした。
11年セント・メアリーに住んでおり、伝統、アフリカの習慣などが多く残っている中で育ったんです。
祖母、母の母なんですが、よくわたしにアナンシのお話をしてくれたものです。特に夜寝る時。
わたしにとってはもう子守唄のようなものでしたね。
それに母のところにはいろんなお客さんが来てました。
そしてみんなよく喋るんです、これが。誰かが「見て!」なんて叫ぶこともありましたね。
―― あの、わたしが聞きたかったのは、どうやってあなたがジャマイカのことばや文化に価値を見出したかということで・・・。
ミス・ルー: 何で最初からそう言わないの。答えはもうお話ししましたよ。
つまり、わたしは昔から劣等感なんか感じたことなかったんです。
神様と供に暮らしてました。
人が「あの子の髪は良くない。あの子の髪はいい」なんて言ってると、母はいつも「髪に良し悪しなんかないの。ただ種類が違うだけ」と言ってました。
だからわたしも思った。
しゃべり方も同じだってね。
どうしてジャマイカ人の全部が悪いなんて言われなきゃいけないの?
わたしが知ってて、愛してるのはジャマイカ人なのに。
学校では白人についてたくさん勉強する。
だけどジャマイカの地理や歴史はあんまり教えてないのよね。
それにわたしたちはイギリスのフォークソングを歌って、イギリスの踊りをおどってたのよ。
「Come Mek Mi Hol' Yuh Han(手をつないで)」を知るまで、わたしはスコットランドのワルツを踊っていたんですから。
学校の先生もジャマイカのフォークダンスには賛成してなかったですね。
だからわたしは「何でジャマイカのものはいけないって言われるんだろう」ってずっと思ってました。
―― つまりお母様の考え方にあなたも影響を受けた、と。
ミス・ルー: そう、母から受け継いだものは多いですよ。
人との接し方なんかそうですね。
わたしたちは皆友達だったんです。(笑)そう、そういえばこんなこともありました。
学校の先生がいてね、こどもたちに従順であることの大切さを教えてるわけです。
「カーサブランカ」という詩があって、「少年は燃えるデッキに立ち・・・」という部分があったんですね。
そういう詩をわたしたちもやってたわけです。
そして先生は言う。「この男の子はお父さんの言うことを聞いてうんぬん」
わたしは夕方家に帰り、母が縫い物をしている部屋に行きました。
当時みんなはわたしのことをベイブと呼んでいたのですが、みんな「ベイブ、今日は学校どうだった?何の勉強したの?」って聞くわけです。
わたしは答えましたね。「今日は従順さについて勉強したの。男の子が燃えるデッキに立ってて・・・」と詩を朗読したんです。
そして朗読し終わったわたしは言いました。
「先生は『男の子がお父さんのいいつけを守ったからえらい』なんて言ってたけど、この子はそのせいで死んじゃったんだよ」って。
すると小さなおばあさんは言ったんですね。「この子ったら!かわいそうに、その男の子は寿命が尽きたってことだよ」って。(笑)
―― 結局従順さとは全く関係がなかったと。
ミス・ルー: 「その子は寿命が尽きたんだよ」なんて言われたら、従順さとは全然関係なくなりますよね。
でもその時のことはとても強く印象に残りました。「寿命が尽きたから」なんて。
―― そういう人の反応を見て、あなたは自分の価値観やものの見方を養っていったわけですね。
ミス・ルー: そうです。そういう積み重ねにはたくさん影響を受けました。
それにわたしはお話をするのが好きだった。
だからお話をしてた。
母の仕事部屋でお話をして反応を見てたんです。
それで自分に笑いの才能があることがわかった。
些細なことや冗談を言って、お話をしてたんです。
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