デイヴィッド・カッツ著、森本幸代訳
2008年 JD Medusa
彼の人生・音楽すべてを受け入れることが、リー・ペリーという人を理解する第一歩
それはエキサイティングであり、少し切なくもある
最初に出版社からこの本の日本語版を出そうと相談されたのは約1年前。
「 リー・ペリーの本を出そうと思うんですが、どう思われますか? 」 と聞かれ、返した答えはこう。
「 いいんじゃないですか。でもリー・ペリーの情報は結構出回っているんで、他の本の方が面白いと思うんですが 」
でもこれは全くの間違いだった。
正直わたしは、変に面白がられている奇人伝説の上塗りをただ嫌っていたのである。
実際自分がこの本の翻訳を依頼されてから初めて原稿を読んだのだが、そこに書かれているのはペリーに対する偏見や冷やかしでなく、
彼を一人の人として見た客観的な記述だった。
とかく80年以降のリー・ペリーは奇人扱いされており、「 リー・ペリー = 素晴らしいプロデューサー 」 というイメージを持っていたわたしは、
彼のジャマイカのスタジオ、ブラック・アーク崩壊後のリー・ペリーをほとんど知らなかった。
知ろうともしていなかった。
本書13章で著者デイヴィッド・カッツが書いているように、アーク以降のペリー作品は
「 ペリーがインディペンデントな作品として作っていた時に惜しみなく注がれていた愛情や注意がない。
そしてその献身の欠如が、往々にして聞く者を失望させる 」 と思っていたのである。
もちろんこれも本書を読んでペリーの人生を少し垣間見たあと、その理由も理解できたのだが。
メディアにはやたらと恐ろしげなペリー伝説が伝えられ ( たとえば自分の年を 「 9歳だ 」 と言ったり、そこら中に落書きをするなど。宿の提供者/ホテルの経営者からすれば悪夢)、
異様な風貌を面白がる風潮が“ それこそ伝説の ” プロデューサーをディスしているのでは?と思っていたのである。
しかしこの本の翻訳を依頼され、二つ返事で 「 よろしくお願いします 」 と言ったものの、しょっぱなから 「 ロード・サンダーの陽 」 である。
わたしは目の前が暗くなった。
「 ロード・サンダーの陽 」 って何??
12章の口述(P360〜P368)に至っては、まともに読むのも怖かった。
しかし彼の人生を詳細に追ったこの本を何度も読むにつけ、不思議なことにペリーの言葉がわかるようになったのも事実だ。
この本を訳した後、縁あってペリー本人への電話インタビューやアルバムの対訳などもやらせていただいたが、何の苦労もなくスムーズに事が運んだのは、
この本を読んだおかげで彼の世界観を違和感なく理解できるようになっていたからだろう。
本書はペリーの子供時代から去年までのことが年代を追って書かれている。
ペリーから “ ゴースト・ライター ” に任命された著者デイヴィッド・カッツがペリー自身と何年もの時を過ごし ( 最初の2年はほぼ毎日会って行動を共にしていたそうだ )、ジャマイカ、アメリカ、ヨーロッパをまわって200人以上に行った関係者へのインタビュー、
膨大な音・映像・紙資料の整理をした苦労は見事に報われている。
たとえ他の誰かが同じことをやろうと思っても、選ばれた者にしかできない、途方もない仕事だ。
ペリー自身はこの本に対してどういう感情を持っているのかわからない。
気分の変わりやすい、複雑で残酷なほど誠実、拍子抜けするほど調子のよさもあるペリーのことだから、この本に満足していると言うこともあれば、別の形の搾取だと毒づいていることも想像できる。
しかし彼の複雑な人生をカッツが書き残さなければ、ペリーはずっと奇人として理解者の少ないまま残りの人生を過ごすことになっただろう。
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