Nesta Andrews
2005年 自費出版
ぼくは、また大胆にも夢を見る
ぼくは、また大胆にも夢を見る
今日は、わざと歩いて家に帰る
知らない人の、沈黙の中を
すれ違いながら、無表情の人を数える
みんな、一体どこに行くのか
すっかり日常になった、平坦な生活に向かって?
忘れ去られた夢の霞の上 滑るように
これが、生きるということなのか
ぼくは、急にじぶんのことを思った
退屈で、平凡な、ぼくの生
ガラスのように虚ろな、ぼくの存在
陶器の水差しみたいにもろい
それとも、ぼくが震えているだけ?
もともと、開けたところから始まっていたはずだ (ぼくの旅は)
それが、大人になるにつれ狭まった? (ぼくももう二十歳)
そして突然
粉々に砕かれる
失われた夢と希望
でもぼくは
名もなく、顔もない人といっしょに
かなしみの海に溺れるのは嫌だ
だから一人ひそかに膝をつく
人のあたたかさを信じ
新しい唄を歌い
みんなもいっしょに歌ってくれることを信じ
愛しあうために
愛し合うことの意味をぼくは知ってる
ぼくは、また大胆にも夢を見る
この本は、全74篇、87ページの自費出版詩集。 著者、ネスタ・アンドリュースに関する情報はほとんどみつからなかった。
わかるのは、ジャマイカ技術大学(UTEC)の卒業生だということと、20代半ばの男性だということ。
出身地は明かされていないが、「トレンチ・タウン・ポエット」という名前や、作品の中でゲットーの日常が描かれていることから、裕福な地域の出身者ではないと想像される。
父親や友人、いとこが「突然死んだ」というところをみると、おそらくそうだろう。
父親やボブ・マーリー(彼の名前はボブ・マーリーのミドルネームからつけられた?)、クロード・マッケイやデレク・ウォルコット、ローナ・グディソンやミス・ルーを尊敬する素直で聡明な青年。
母校の小学校を訪ねたとき、こどもがほとんどいないことに胸を痛めたり(こどもたちは学校に行かず通りでたむろしていた)、好きになった女の子がコミュニティー内で強姦され、自ら体を売るようになったことに心を砕かれたり、まだ人形で遊びたいだろう少女が、生きた赤ん坊を生むためにあげる叫び声を聞きながら暮らしている。
しかし彼にもふつうに恋をして夢中になったり、失恋したり、夢をみたり空想することがある。
この本を読んでいると、彼にとって詩を書くことは、悲しみを昇華し、喜びをかみしめる行為。道を見失わないための手段であり、じぶんが体験していることを理解するための行為のように思えた。
部外者は「ゲットーの若者はラフでタフ」というイメージを持ちがちだが、彼らも当然傷つき、夢を見たり大志を抱いたりしているものなのだ。
そんな当たり前のことを、この本を読んで再確認するというのも変な話だが、わたしは少しほっとした。
もしかしたら彼のように素直であることは、女々しいことだとまわりの人に思われているかもしれない。
しかしみずみずしい感性のつむぎだす詩の数々からは、10代、20代の青年が感じる生の重みがあふれている。
「ぼくは、また大胆にも夢を見る」なんて言葉がでてくる生活をじぶんが送っているか自問自答しながら。
2007年4月30日 森本幸代
2007年5月21日追記:
著者、ネスタ・アンドリュースのその後
やはり彼はフェデラル・ガーデン(トレンチ・タウン)出身の25歳でした。
JSIFやICBSPなど政府・世銀出資のコミュニティー開発プログラム、現地職員として働き、クラブ・ルネッサンスという貧困地域にクラス若者を対象としたアートグループを結成して活動中。グリーナーに掲載された記事では、コミュニティの境界線を越えて
活動することの難しさなどについても語られていましたが、こういったコミュニティ・ベースの活動がもっともっと報道されるべきだと思います。
アンドリュースのような若者が、あの詩集にあったまま力強くつき進んでいることにほっとしました。
がんばれ!!
協力: Ross Sheil (RossClaat)